嵯峨野線今昔

現在、嵯峨野線と呼ばれている山陰本線も私が若かった頃は京都から亀岡へ行くために1時間ほどかかり、路線は単線で車両はディーゼル機関車がけん引していました。反対列車が来ると二条、花園、嵯峨(現、嵯峨嵐山)などで停車し、車両をすれ違わせるための待ち時間が常に発生し、とても不便なものでした。車両も狭く、出入り口の脇に行商の人が大きな荷物を置いていたり、座席で編み物をしている女性や、お弁当を広げて食べている人、お酒を楽しむおじさんもいたり、また大きな声で会話を楽しむ人たちもたくさんいました。
そこには、通勤列車独特の楽しみがあり列車はいつも賑やかで集いの場所でもありました。確かに不便で目的地まで時間もかかったので誰かと話したり何かしてないと、やってられなかったのかも知れません。
あれから30年~40年が過ぎ、現在は嵯峨野線と呼ばれ、私は通勤で亀岡から二条まで快速電車で15分で利用しています。路線は複線電化になり保津峡もトンネルで一直線に走れるようになりました。冷暖房が備わった快適な車両で、あっという間に二条駅に到着します。しかし車内では誰も会話する人はいません。殆どの人が黙ってスマホをいじっています。「随分変わったな」と昔を思い浮かべ、なんか寂しいなと思う時がよくありました。
それが、最近その様子が徐々に変化しています。朝の車内で話し声が聞こえる時があります。また午後や夕方はもっと多くの人の話し声が聞こえてきます。
それは、リタイヤした高齢者が夫婦で、または友達と旅行に出かけるところで、車内でお喋りしてる声であり、午後や夕方は、外国人がたくさん載ってきて賑やかに話す声です。
日本人の暮らし方の変化の中にグローバルが混在し新しい文化を作りだしていることに、思わずほくそえんだりし、現在の嵯峨野線での通勤を楽しんでいます。